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ツイッター家族の朝は早い

 午前六時の起床と同時に行われる、都内に住む女子高生・津井田ポス子の起き抜けの日課といえば、携帯電話から眠気まなこで「おはようなう」と書き込むことであった。

 ポス子がその一文を書き込んだのは、今では世界で五億以上のアカウントが登録されている人気SNSサイト、「ツイッター」である。どこにでもいる普通の学生から現役アメリカ大統領まで、人種国籍職業性別有名無名誰彼問わず気軽にアカウントを作成でき、140文字以内の短文を「つぶやく」ことで、今の自分の状況、心境、主張などを世界に向けて発信できる。また、それ故に虚実入り交じった多くの情報がウェブならではのスピードで拡散し、手元に届く。その手軽さと用途の幅広さから、爆発的に多くのユーザーを獲得していった。

今ではツイッターをきっかけに名前をあげる者、稼ぎの路を見出す者、窮地を救われた者、社会に微細な変革を齎す者まで現れており、またその敷居の低さから起こる様々な問題を抱えつつも、現在のウェブサービスに於いて巨大な存在感を放っているのだ。

TLを開くと、見慣れたアニメアイコンの数々。ポス子のアイコンもまた、流行りのアニメの美少年キャラをキャプチャしたものである。

ポス子はオタクだった。昔から二次元にしか興味を持てず、人付き合いは得意な方ではない。しかし、ツイッターでは同じ趣味の持ち主と気軽にリプライを飛ばし合い、時折オフ会などに参加することもある。出会い厨と呼ばれることもあった。

その楽しさから、ポス子はすっかりツイッター中毒になっていたのだ。

 一階のリビングに降りると、味噌汁のいい匂いがポス子の鼻をくすぐる。

「あら、おはようポス子」

 台所から、母の津井田スパム江が声をかけた。

「お母さん、おはよう」

「今日は寝坊しなかったわね。朝ごはん出来てるから食べなさい」

「また白飯? 私たまにはトーストが食べたいんだけれど」

「日本人ならお米を食べなさい。そんなことよりこれをちょっと見てくれる?」

 スパム江が携帯の画面をポス子に突き出す。

 母のTLを拝見すると、そこにずらりと並んで、今ではすっかり「イタい人」の代名詞的な存在となってしまった「日の丸アイコン」が輝いていた。

「これがどうしたの?」

「自民党の支持率が上がったのよ! これで次の解散総選挙は政権奪還まちがいなしね。その時はまた、麻生さんが総裁になっていてくれないかしら」

 スパム江は国を愛する女だった。タイピングすら満足にできないネット初心者だった頃に、ポス子がニコニコ動画とコピペブログを教えて以来、愛国心に目覚めてしまったのだ。

結婚して以来、趣味もなく、友達付き合いが増えるでもなく、自分を磨くことも、また夫から女として見てもらうことも少なくなり、モクモク家事をこなす日々を送るだけであったスパム江の、心に風穴が空いたかのような日常に、愛国活動の精神が突然足を踏み入れた。

『ネットには真実が転がっていたわ。狭い家庭でひとり、私は何も知らないで生きていた。でも、確実なソース主義のネットでマスメディアによって隠されていた情報を手に入れていくうちに、私が今やらなくてはならないことに気がついた。私は目覚めたのよ。そこらの主婦とはもはや同じ存在ではないの。国を守るという大事な使命を持っているのよ』

 いつだったか家族で晩餐を囲んでいるときに、スパム江が突然そんなことを口にしたので、ポス子は食事にマリファナでも入っているのではないかと疑った。

 週末にはデモの参加などで忙しいスパム江であった。なんでも不買運動を始めたらしく、普段使っている洗剤を別の会社の洗剤に変え、洗いあがりの質が下がったことにポス子は時折不満を漏らす。最近は怪しいビラのポスティングにも凝っているらしい。

「ポス子。あんたは日本人の私とお父さんから生まれた日本人なんだから、当然日本を愛しているでしょう?」

 何がどうなってそういう理屈へ帰結するのか、何回考えてもポス子には理解できないままであり、これから理解できる自信も必要性も感じなかった。

「だからあんたも、それを表明するためにアイコンに日の丸をつけなさい」

『イヤよ。誰が好き好んであんな使用済みのナプキンみたいなデザイン飾んないといけないのよ』

 と、思っただけで口には出さなかった。母の前でそんなことを言ってしまえば毎日のランチが日の丸弁当に降格してしまう。

 スパム江は今日も朝から憤っていた。なんでも、オーストリアとドイツの教科書が日本海を「東海」と表記した事に怒りを覚えているらしい。ポス子にはどうでもよかったが、母がこの手の義憤とも言えぬ義憤に駆られると、津井田家の生活に多少の影響が出るのだ。スパム江はポス子の目を見ず言った。

「それでね、私今度からオージー・ビーフを不買することにしたの」

 オージー・ビーフはオーストラリアの牛肉であってオーストリアとは関係がない。ポス子はそれを諭してやろうと思ったが、誤った方向へ走り続ける情熱に燃える母の必死の形相を前に口を噤む。母の中で、不買運動があらゆるものに通用する攻撃手段へとどう摩り替わったのだろう。

「これも国を思ってのことだから、ポス子も我慢してね」

 好きにしてください、とポス子は思った。オージー・ビーフに限らず津井田家の食卓に牛肉など、月に二、三回出るかどうかといった具合である。代わりに和牛でも並ぶのならばかえって嬉しいくらいだ。豚肉が食卓を飾る未来しか思い描けないが。

 おそらく愛国活動によって同好の士という友が増え、国のためという大義名分のもとに動くことで、主婦生活でなかなか得ることのできなかった充実感や承認欲求の充足、自分は他者とは違うという謎の優越感などを手にしたことで軽い中毒に陥っている。ツイッターの存在によって連帯意識の持ちやすさもあり、愛国心に目覚める主婦がやたらと多いのもそういう事情があるのだろう。今のところ家庭に大きなダメージはないし、それでスパム江が人生を楽しめているのなら、ポス子はそれでいいんじゃないかとも思う。時折差別的な発言が耳障りなこともあるが、そこは反面教師である。

椅子に座り、味噌汁に手を伸ばすと、向かいに座っている父、津井田ふぁぼ三から叱咤が飛んできた。

「こら、ポス子。いただきますくらい言いなさい」

「さっき『めしなう』ってpostしたもん」

「めしなう、じゃないだろ。きちんと言うんだ」

「はいはい……いただきます」

 味噌汁をすすりながらふぁぼ三に目を配ると、右手で卵焼きをつまみながら左手で携帯電話をいじっていた。いただきます以前のマナー違反である。

 だが、それも仕方がないとポス子は思った。ふぁぼ三もまた、ツイッターに日常を毒されている一人なのだ。

 しかし、ポス子が携帯で自身のTLを眺めても、ふぁぼ三のツイートは流れてこない。フォローしていないわけでもブロックしているわけでもない。

「お父さん、どうしてツイートしないの。どうせまた、いい長文postができたんでしょ」

「ははは。人が少ない朝につぶやいてもなかなかふぁぼられないだろ? 星を狙うならTLに人が多い夕方五時以降だな。それまでは書きためて置くんだよ。」

「じゃあなんで今ツイッター覗いてるの?」

「それは他のネタクラスタをふぁぼるためだよ」

 父は「ネタクラスタ」だった。面白おかしいツイートをして、そのpostを「お気に入り」してもらうことに喜びを感じているユーザーである。

職場では上司に罵られ、年下のエリートに突き上げられ、同期には役職で先を行かれ、女子社員からも待遇が悪く、家庭で何かしら心を満たしてくれるような出来事が待っているでもない、しがない中間管理職に留まり続けているふぁぼ三にとって、たった百数文字を書き込むだけで「大勢に認めてもらう」という経験ができるイベントは、その承認欲求を満たすのにあまりにも適合しすぎていた。

「ほら、父さんの昨日のpostなんか200ふぁぼを超えているんだぞ」

「そうなんだ。よかったね」ポス子は感情の込められていない声で返す。

「お前もやってみろ。フォロワーも増えてお得だぞ」

「面倒くさそうだからいいよ」

「簡単だぞ。いいか、物事には段階や要領ってものがあるんだ。まずネタクラスタを大勢フォローする。そして片っ端から彼らのpostをふぁぼったりリプライを飛ばしたりして、存在を認識してもらう。あるとき、自分が長文postをツイートすると、彼らがふぁぼとRTをしてくれる。面白さなんてどうでもいい。長文でそこそこのオチがついていればいいんだ。『ネタクラスタっぽい』ことが重要なんだよ。そうやってふぁぼられが増えていくうちに、フォロワー数が増える。そうすればしめたものだ。『フォロワー数が多いということはきっと面白いんだろう』という層にフォローしてもらえ、またフォロワー数が増える。そうなると、ネタの質に関わらずふぁぼやRTをする層が出てくる。その中にはもちろん、俺と同じ手法でフォロワーを増やしたネタクラスタもいる。そうやってまたどんどんふぁぼが稼げる。フォロワー数が増える。ふぁぼが稼げる。極々たまにちょっといい事なんて言ってみると、『ああ、この人面白いだけじゃなくて頭が良くて人格者でもあるんだ』と簡単に思い込ませることができる。見てみろ、今では手垢のついたようなネタツイートでも毎日100ふぁぼ超えする人気ネタクラスタの仲間入りだ。猿にだって出来る」

 長々とそんな講釈を垂れられてもポス子は困る。そこまでのフットワークや計算を、どうして職場で活かせないのか。酷なのでポス子は言わないようにしている。ふぁぼ三のpostを面白いと思ったことは、ただの一度もない。本来は家族との食卓でジョークのひとつも飛ばせない男なのだ。

「ところで人気ネタクラスタの◯◯◯さんって出会い厨で、ファンの女学生食いまくってるってマジ?」ポス子が訊ねてみる。

「それは初耳だが……そうなのか?」

「いや、知らないけれど。お父さんはそんな真似しないでよね」

「するもんか、するわけないだろう!」目が泳いでいた。

今日の味噌汁はなんだか味気ない。

TLに流れてきたいくつかのツイートに目が留まった。

『今日は午後から仲間達とディスカッションの予定。大学時代に主催していたサークルで培ったディベート能力が試される。ゆくゆくは起業し組織の統率役として生きていく上での重要なステップに繋がる。常に成長の機会を見定めていきたい』

『こういったことの積み重ねからハイクオリティなイノベーションが生まれ、先人達の功績をロールモデルに、ソーシャルメディアにおけるマネジメントがワイアードカフェにスマートフォンでジョニーがデップな……』

 これらの意識の高いツイートは、風呂とトイレと食事以外では二階の部屋から降りてこない兄、津井田リツイ彦によるものだった。

 幼少より内向的な性格だったリツイ彦は大学生活の途中で自室に引きこもるようになってしまい、そのまま引きこもりのニートとして穀を潰し続けている。

 リツイ彦は現実の自分から目を逸らしたいあまりに、ツイッターで高い意識を持った将来有望な若者を演じているのだ。最近、著名人のアカウントにリプライを飛ばす事が多い。コネを作りたいのかもしれないが、リアルがこの状況でコネなど作ってどうするというのだろうか。

 リツイ彦のプロフィールを覗くと、そこには、

『慶応義塾大学経済学部/イベントサークル代表/ITベンチャー/マーケティング/現代アート/ワークショップ/起業』

 と、書いてある。どれもこれも嘘っぱちであった。ポス子はこれを、

『慶応義塾大学経済学部(嘘)/イベントサークル代表(嘘)/ITベンチャー(嘘)/マーケティング(嘘)/現代アート(嘘)/ワークショップ(嘘)/起業(嘘)/ニート(本当)』

 と、書き直してやりたかった。

しかし、こんなツイッターに触れることでますます現実の問題から遠ざかっていく兄ではあるが、それでもいいことはあった。リツイ彦が「フォローしてくれ」とアカウントを教えてきたときは、彼が風呂とトイレと食事以外で部屋から出てきて話しかけてきたことに素直に驚きと喜びを感じていたし、普段は面と向かった会話もできないが、リプライを気軽に飛ばし会う程度のコミュニケーションならとることができた。リツイ彦と家族の絆を繋ぐ役割を果たしていた。

ふと、奥のふすまが開くと、中から背の曲がった老人が姿を見せた。ポス子の祖父の津井田なう二郎である。

「ところでスパム江さんや。メシはまだかいのう?」

「もう、おじいちゃんったら。さっき食べたばっかでしょ」

「はて、そうだったかのう。じゃが、スパム江さん」

「はい、なんですか?」

「メシはまだかいのう?」

スパム江がため息を吐いた。

昨年の春先に祖母が氷◯きよしのコンサートの最中に興奮高まるあまり心不全を起こして死んでからというもの、かつては津井田家の最大権限の持ち主であったなう二郎も、今では長くこの調子である。

なう二郎はツイッターをやっていなかったものの、どうせアカウントを取らせてもPCや携帯は使えないであろうし、使えたところで今と一緒で同じ事しかつぶやかなさそうだ。ポス子はなう二郎をそういうbotだと思うことにした。時々意味不明なこともいうので、そのときはしゅうまい君の劣化版だと捉えている。

つつがなく朝餉を終え、そろそろ家を出ようとした矢先、TLをチェックすると公式リツイートが飛んできた。コピペブログのアドレスだった。リツイートしたのはクラスメートである友人のハッシュタグ美である。

ハッシュタグ美はコピペブログが大好きであった。一日のネット巡回の時間の殆どをコピペブログの閲覧に費やしている。学校で会話をしてもコピペブログの話題ばかりしてくるのである。

ポス子もそういうブログを全く読まないわけではなかったが、さほど興味はなかった。

コピペブログ中毒患者であるタグ美は、自分の思想信条主義主張を、コピペブログに依存しているフシがあった。政治から芸能まで様々な事件が起きたとき、まだ若いということもあったが、彼女は自分の意思だけでは意見というものを抱えることができなかったのだ。もし自分の主張が間違っていたら?という不安に起因するものである。

そこでコピペブログの論調、正確にはコピペブログの管理人の編集によって作られた論調に便乗し、自分の意思を一任することで、見えない多勢が背後に加わった安心感を得ながら主張を繰り広げている。自分の本来持っていた思想とすりあわせたか否かなどは問題ではなく、彼女の中でコピペブログこそが絶対であった。ツイッターでは気軽さも相俟ってその風潮がますます過激になった。時折過激な主張が目に留まり、中にはポス子もそれは違うだろうとツッコミを入れたい主張もあったが、それも面倒であり角が立つのも好みではないので、あえて黙っていた。

(まあ、いろんな人がいるから面白いのがツイッターだし)

 ポス子が玄関で靴を履いていると、後ろから大声で会話が聞こえる。ふぁぼ三とスパム江がおしゃべりをしているのだ。話題は案の定ツイッターだが、二人の言葉は生気が宿って活き活きとしていた。

 スパム子が携帯を開くと、リツイ彦からリプライの返信が届いている。スパム子の顔にわずかな笑みがこぼれた。

どれもこれも、少し前までは考えられないことだった。家庭の中でも威厳を持てず、いつでも何かに対し申し訳なさそうにしていた存在感の薄い父、満たされない欲求を抱え、死んだ魚のような目をしていた母、部屋にこもり、誰かと関わりを持つということを完全に遮断した兄、二次元にしか興味がなかった自分。温かい食事が並ぶテーブルを囲んでも、冷めきった家庭では会話など何もなかった。いただきますを言わなくても怒られなかった。

今は少し違う。わずかではあるが確実に、自分達は何かが開けていると思っていた。細い糸のような絆を確かに感じ取っていた。たとえそれがいちウェブサービスを利用しただけの一過性の現象であっても、仮初のものであっても、それをきっかけに風向きが変わることもあるかもしれないのだ。

「ところでスパム子さんや、メシはまだかいのう?」

そのうち、なう二郎にもパソコンや携帯を教えて、ゆくゆくはアカウントでも取らせてみようかな、とポス子は思った。もしかしたら、ボケ防止くらいにはなるかもしれない。