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戦いたくない桃太郎

 昔々あるところに、おじいさんとおばあさんと桃太郎がいました。

 三人はたくさんの人が住む村とは少し離れた山中に三人だけで居を構え、慎ましくも穏やかで楽しい生活を送っています。

 おじいさんとおばあさんは争いを好まない心優しい性格で、ギスギスしたムラ社会に馴染めず山の中へ逃げ込んだ過去を持ち、桃太郎はそんな二人を心から尊敬していました。

 桃太郎はある日、刀をふるって薪を斬っていました。おじいさんおばあさん同様、揉め事に積極的でない桃太郎でしたが、大好きな二人の役に立てるかもしれないと、刀の練習を毎日欠かさず行っていたのです。

 この日も快調に作業をしていた桃太郎の耳に、遠くから悲鳴と罵声が聞こえてきました。村からのものです。目を凝らして山の下をみると、なんだか身体の大きなおっかない生き物達が、村で暴れている姿が見えました。

 桃太郎が知っている生き物は、自分とおじいさんおばあさん、山に住む小さな動物、そして村の方でぽつりと小さく見える村人だけです。そのどれとも違う生き物に、桃太郎は少し怯えながらも、村里へと降りるほどの興味はなかったので、その日はそのまま薪割り作業を続けていました。

 するとその夜、おじいさんが足に怪我をして帰ってきました。

「薬を買うために村へ降りたのじゃが、鬼が暴れておってな。棍棒で叩かれて怪我をしてしまった。何、しばらくゆっくりしていれば良くなる。山におれば鬼も襲ってこないしの」

 桃太郎は鬼に対し、怒りを覚えましたが、おじいさんとおばあさんは首を横に振りました。

「憎んではいかんぞ。ワシの運が悪かっただけじゃ。深入りしても損をするだけということが、世の中には多い。ワシひとりの怪我ですんだんじゃ。これに越したことはない。決して怒るんでないぞ。桃太郎や、ワシの足が良くなるまでの間の柴刈りを頼めるか?」

 桃太郎は頷きました。二人の心優しさに触れると、嘘のように怒りが収まります。

 翌日、桃太郎がいつものように薪を斬っていると、茂みの中から一匹の犬が姿を見せました。犬は桃太郎の鮮やかな刀さばきを見て驚きの声を上げました。

「すごい! なんて刀さばきなんだワン。そこのお兄さん、良かったら私があなたの仲間になってあげましょう」

「仲間? 一緒に薪を割ってくれるのか?」

「違う違う! 鬼を退治するための仲間になってやる、と言ってるんだワン」

 桃太郎には、犬による突然の申し出の意味がさっぱりわかりませんでした。

「鬼を退治? 俺はそんなことするつもりはないけれど」

「何故だワン? 今、この世界では鬼達による人間への襲撃が問題となっていることくらいは知っているはず。昨日だって、この山の下にある村が襲われて、金銀財宝を奪われたばかりだワン。私は犬だけれど、鬼達の行いにはもうガマンの限界がきたんだワン。でも一匹ではとても太刀打ちできる相手ではない。だから仲間を探してたんだワン。あなたのその剣術さえあれば、絶対に鬼を討伐することができるはず。あなただって、そのためにそこまで剣術を磨いてきたんでしょう?」

「いや、これは木を切ったり、肉や魚をさばいたりするためだけれど。そんな物騒なことに使わないぞ。第一、鬼とやらが何をしようが興味が無いし。ああ、昨日おじいさんが怪我をさせられたけれど、もう気にしてないしな」

 すると、犬は顔を真っ赤にして吠え出しました。もっとも、白い体毛に覆われてその顔色はわかりません。

「何を言ってるんだワン! あなたと同じ人間が襲われているだけではなく、大事なおじいさんまで襲われているのに! 怒るのが当然でしょう。何とかしてやりたい、と思うべきでしょう。そんな力を持っていて、正義の為に行使しないなんて宝の持ち腐れだワン。あなたには正義というものがないのか!」

「正義とかよくわからないし、俺はおじいさんおばあさん、二人と一緒にのんびり暮らせたらいいよ。それに、なぜお前は人間でもないのに怒っているんだ」

「生き物の種類なんて関係ない! 正義感が私を後押ししてるんだワン。あっ、さてはアンタ、鬼に懐柔されたんですか? 言いくるめられたんですか? 丸め込まれたんですか? この裏切り者! いいですか。戦わないなんて選択肢は許されないんですよ! さあ、今こそ人間のために戦うとき! 結果的には、それがあなたの大事なおじいさんとおばあさんのためにもなるんだワン」

「でも、今日の分の薪を斬らないと……」

「大丈夫大丈夫、あなたほどの力なら一日もあれば鬼を退治できるワン。それともあなたは人間がどうなってもいいのか、同じ人間なのに! 戦え! 戦うんだワン! でないと裏切り者としてあなた達のことを村の人間に話してやるワン!」

 全く気が進まない桃太郎でしたが、この鬼退治がゆくゆくは大好きな二人のためになるかもしれないと聞き、犬の押しの強さにも負けて、晩御飯の時間までには帰るとの約束で、犬を引き連れて鬼退治へと出かけました。

 するとその道中、向こう側から一匹の猿がやってきました。

「鬼退治に行くと聞いたのですが、同行してよろしいですか?」

「やめておいたほうがいいぞ。多分危ないから」

 そう諭す桃太郎を押し退けて、犬が食い気味に猿へ話しかけました。

「もしかしてあなたも! 鬼に義憤を募らせる同士ですか!」

「え……ええ、そうです! 許せないですよね、あの鬼達の卑劣な悪行三昧の数々! ぜひともこの目で、近くで拝んでみたいのですよ。それでは私も、同行してもいいですか?」

「もちろんですとも。仲間は多いに越したことはない。普段は犬猿の仲と言われている我々ですが、今日だけは結託しましょう」

「こちらこそよろしくお願いします。まずは、お二人のことについて詳しく聞いてもいいですか? ほら、敵を知るならまず味方からと言いますし……」

  主役である桃太郎をそっちのけに、盛り上がる二匹の動物。猿は隠れてウキキと笑いました。

 猿は自作のかわら版を作っては、森の動物達に売りまわっていました。かわら版は内容が刺激的であればあるほどよく売れるものです。鬼達と人間の争い、猿はその話を聞いた時からこれは飯の種になると思い、義憤に駆られたふりをして今回の鬼退治に同行することにしたのです。

 一人と二匹で歩いていると、向こう側からキジが飛んできました。

「皆様方、鬼退治に向かうと小耳に挟んだのですが、よろしければ私めも同行させていただけませんか」

「危ないからやめておいたほうが」

「おお、今度は空が飛べる味方まで!」犬はまたしても食い気味でした。

 キジは目元に涙を溜めると、しおらしい声で言いました。

「実は私、両親をあの鬼どもめに焼き鳥にされてしまったのです。ああ文字通り鬼畜の所業、お天道様が許しても、私が絶対許しません!」

「そんなことが……キジさん、あなたの気持ちは充分伝わりました。もう言葉は要りません。我らは同士、共に鬼を討滅しましょう!」犬の震える鳴き声が静かなあぜ道に響き渡ります。

「ありがとうございます! ところで犬さん、あなたもまさか鬼に何がひどい仕打ちをされたので?」

「いいえ、私は特に何もされてません」

 もうどうにでもなれ……と思いながら、桃太郎は三匹を引き連れて鬼ヶ島へ向かいました。早く家に帰り、薪割り仕事をしておばあさんの作ったきびだんごを食べたかったのです。

 鬼ヶ島へ向かう船に乗っている最中、キジが提案を出しました。

「みなさん、やはり恐ろしい鬼達の元へ向かうのに、情報が何もないというのは厳しい物。私は空を飛んで一足先に鬼達の様子を見てきます」

 キジの提案に、猿が身を乗り出します。

「で、では出来る限り多くの情報をお願いします。なんでもいいから『使え』そうなのを教えてくださいね」

 鬼ヶ島へ向かっていくキジの背中を見送り、桃太郎はモチベーションの低下を感じていましたが、ここまで来るとさすがに退くわけにも行きません。しかし、おじいさんとおばあさんを支えるために鍛えた剣術で戦う、というのは実感が伴わず、また気が進むものでもありませんでした。

「みなさん、鬼達はかなり油断しています。こっそり近づいて、いきなり襲いかかりましょう」

 帰ってきたキジがそう告げると、程なくして船は鬼ヶ島へたどり着きました。

 桃太郎が重い足を引きずって上陸すると、真っ先に駈け出したのはやはり犬でした。

「油断大敵! 後ろから襲いかかって噛み付いてやる! 覚悟――」

 先制攻撃かと思われたのもつかの間、犬の身体が盛大に吹っ飛んできました。そして桃太郎の身体に、巨大な金棒が振り下ろされます。桃太郎は素早く、刀でそれを受け止めました。

「ど、どういうことだ。鬼の奴ら、油断どころか臨戦態勢じゃないか!」

 鬼はただでさえ恐ろしい顔をさらに歪ませると、額にピクピクと血管を浮かばせて、桃太郎達に襲いかかります。猿は物陰に隠れ、その光景を紙に描き記し始めました。

「おい桃太郎とやら。お前、いい度胸だな。途中で俺達の子供達を、斬り捨てたそうじゃないか!」

「何を言ってるんだ、そんなことしてないぞ。誰がそんなこと言ったんだ」

「キジだ! さっき飛んできたキジがそう言ったんだよ!」

 桃太郎は攻撃を防ぎながら必死にキジの姿を探しましたが、どこにもいません。

「たわけたことを抜かすな、キジの両親を殺したのはお前らのほうじゃないか!」犬が吠えました。

「何をわけわかんねえこと言ってやがる。俺達は略奪はするが殺しはしない。だが、今ここで最初の殺しをやることになりそうだぜ」

 混乱する桃太郎の上空高く、キジはその戦いの様子をじっと見下ろしていました。

「これだよこれ。誰かと誰かの争いを煽って、安全な位置から好き勝手言いながら高みの見物をキメて笑う。これが唯一の俺の楽しみ、俺の生きがいなんだよ。ああ、なんて楽しいんだ。ほらほらもっと争え、憎しみ合えよ。今夜の酒が美味くなる!」

 鬼は攻撃の手を休めません。桃太郎は後ろに下がって距離を取ると、刀を鞘に納めました。

「やめてくれ! 俺は争いたくないんだ。この刀で誰かを斬りたくないんだよ。今はそれぞれ何か誤解が起きている。まずしっかりと話し合って、理解を深めて歩み寄ろうじゃないか」

 あくまで対話を求める桃太郎に真っ先に噛み付いたのは、犬でした。

「何を言ってるんですか。話し合いなんてもうできるわけがないでしょう。戦いましょう。もはや生きるか死ぬかしかないんです!」

 すると、物陰に隠れていた猿が顔を出して言いました。

「その通りですよ! しっかり戦ってくれないとネタにならな……じゃなくて、これは人類の未来をかけた戦いなんです。切った張ったしてくれないと困りますよ!」

 空でキジが聞こえないようにつぶやきました。

「なんだよ、桃太郎のやつ。派手にドンパチやってくれないと面白く無いだろう。お前がどうしたいか、なんてどうでもいいから俺の娯楽のために戦うんだよ」

 しかし、桃太郎はあくまで不戦の構えを崩しません。

「おい人間、お前はまさかここまで来てそんな理屈が通用すると思っているのか? それで逃げられると思っているならお笑い草だな。こっちは容赦なくかからせてもらうぞ!」

 そして鬼の群れによる、徹底した攻撃が始まりました。桃太郎はその攻撃を全て刀で受け止めますが、いくら剣の達人とはいえ相手は鬼、桃太郎も少々押され気味でした。

 犬は牙を尖らせては力の限り吠え、鬼達を牽制します。猿は紙に走らせる筆を止めません。キジはそれを見つめ酒を呑んでいました。

「本当に、本当にやめろ。戦いたくないんだ俺は! おじいさんに怪我させたのも全部許すから、もうやめてくれ……」

 それでもなお戦おうとしない桃太郎に、動物たちは次第に苛立ちをつのらせました。

「何やってるんだ桃太郎! やれ、やるんだよ! こういう悪徳非道な奴らはもう二度と悪さが出来ないように徹底的にやれ! こいつらのやったことを思いだせよ! 戦え! 俺達が正義なんだ! 戦ってそれを示すんだよ!」目をひん剥きながら犬が吠えます。

「さっさと戦え! 見映えがしないだろ! みんなはお前が鬼を斬り捨てて血みどろにする光景を求めてるんだ! 俺にはその期待に応える義務があるんだ! なんなら負けてもいいから、戦って戦って面白いことしてくれよ!」頭をかきむしりながら猿が喚きます。

「戦え! 戦って俺を楽しませろ! ああ、イライラする! お前は俺に消費されるコンテンツだろ! 俺を満足させられないならお前なんか要らないんだ! 俺の前で争え! 俺に醜いケンカを見せろ! 退屈させるんじゃないぞ!」涎を垂れ流しながらキジが鳴きます。

「戦えよ!」犬が吠えます。

「戦えって!」猿が喚きます。

「戦うんだよ!」キジが鳴きます。

「戦え! 戦え! 戦え戦え戦え戦え戦え!!」

 犬が、猿が、キジが、犬、猿、キジ、犬猿キジ、犬犬猿猿キジキジキジ……家来たちの声が、鬼の猛攻撃を防ぐのに精一杯な桃太郎の頭に響き渡ります。

 桃太郎にはもう、何かを判断する気力は残されていません。自分が何のためにここにいるのか、自分は何がしたかったのか。それを思い返すことさえ煩わしくなりました。唐突に、何もかもが面倒くさくなりました。

 桃太郎の中で何かがプツリと切れたその瞬間、一匹の鬼が倒れました。それから音もなく、鬼達が次々と倒れていきます。

 桃太郎が目にも留まらぬ早さで、次々と鬼を斬り捨てていったのです。突然の逆転劇に困惑した鬼達は背中を向けて逃げ出しましたが、三分後には全ての鬼が討たれ、鬼の群れは壊滅しました。犬が喜んで駆け寄ります。

「桃太郎さんすげえワン! やったらできるじゃないですか! やっぱり正義は勝つんだ! さあ、これで終わりではないですよ。鬼達を徹底的に嬲り尽くして、今度はわたし達の家来に……」

 そのとき、犬もまた鬼達同様にパタリと倒れました。犬の様子を確認しようと近づいた猿までもが倒れ、何が起こったのか察したキジは急いで逃げようとしたものの、桃太郎が空に向かって投げた刀に貫かれ、力なく落下していきました。

 瞳の中に光を失くした桃太郎は、鬼達が人間から奪った金銀財宝をひきずって船に乗せましたが、それはとても覇気のない動きでした。財宝は特に要らなかったのですが、何も手にしないまま帰ると自分のこれまでの行動の意味がなくなるような気がして、おじいさんとおばあさんのための刀で誰かを殺めた以上、二人のためになるようなものを持ち帰れば罪滅ぼしになるような気がしていたのです。帰りがけに鬼ヶ島へ火を放ち、桃太郎は海を渡り始めました。

 しかし航海の途中、金銀財宝のあまりの重さに、船にはとうとう穴が空いてしまいました。すでに泳ぐための気力も体力を失いきった桃太郎は財宝と一緒に、深く冷たい海の底へと沈んでいきます。

 沈みゆく財宝の輝きに囲まれながら、桃太郎は山で過ごしてきた三人だけの穏やかな生活を思い出していました。

 

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