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撮り鉄が主人公な小説書いてみた

 鉄男の朝は早い。まだ朝陽の昇らない午前四時五十五分。目覚まし時計のアラームで目を覚ます。

 布団の中で目を開けると、見慣れた薄暗い部屋の壁には、びっしりと写真が貼ってある。

 これらは全て、鉄男の撮影したものだ。彼は写真を撮るのが趣味であった。小さい頃からカメラを手に外に出ては、シャッターをひとしきり押した後、自宅で出来上がった写真を鑑賞するのが何よりの楽しみだった。

 カメラが好きだというだけでは取り立てて変わったことはない。ただひとつ特異な部分があるとすれば、被写体が全て電車であることだった。

 暗闇の中でぼんやりと映るのは、壁に貼られた京王5000系。特にお気に入りの車両である。鉄男はうっとりとした表情で写真を見つめた。

「おはよう、僕の5000系。今日も一日、頑張ろうね」

 愛おしげな響きを秘めた鉄男の声が静かな部屋に響く。

 サラリーマンである鉄男の務める会社の始業は九時。今の部屋から電車を二回乗り継いでも一時間とかからない。いささか早い目覚めである。

 彼の早起きには理由があり、それは出勤に時間がかかるといった類ではない。むしろ彼は食事から洗顔・歯磨き・着替えに至るまで十五分前後で済ませてしまうせっかちな性格であった。

 時刻は五時ちょうど。あと五分。彼は目を閉じて、その瞬間を待つ。

毎朝の日課。それは、窓の向こうから見える線路を走る、始発電車の走行音を聞くことだった。

 鉄男は生粋の鉄道オタクである。毎朝、好きな電車の始発の音を聞き、身体に活力を与えなければ、その日一日は調子が悪い。それほどのマニアだった。

 鉄男の住む部屋は高台に囲まれ、緩やかな丘の上を走るその線路は、最初のカーブに差し迫る部分が、ちょうど鉄男の部屋の窓の眼と鼻の先にあるのである。始発の走行音も、結構なボリュームで耳にすることが出来た。そのため、この一体は住宅街だが家賃はとても安い。他の人間には迷惑な現象も、鉄男にとってはご褒美である。

「よし、あと三十秒だな」

 体内時計で電車の通過時刻を計る鉄男。そのとき、電話の呼出音が流れた。

「誰だ! もうすぐ大事な時間だっていうのに……」

 鉄男はかけてきた相手の名前も確認せず通話ボタンを押した。相手が誰であろうと、こんな早朝から電話をかけてくるような輩には、一言文句をつけてやろうと思ったからだ。

『よお、鉄男。久しぶりだな!』

 聞き覚えのある声。それは、旧知の友人であるMの声だった。

「お前な、久しぶりだじゃねえよ。こんなに朝早くから電話してくる奴があるか?」

『まさか起こしちまったか? そんなわけないよな。お前はいつもこの時間には起きているはずだからよ。どうせ今でも始発音聞いているんだろ?』

 その通りである。Mは彼の鉄道趣味を理解している数少ない友人のひとりだった。気心の知れた仲であり、大学卒業後は学者になったはずである。何を専攻しているのかは忘れてしまった。しばらくは年賀状の交換程度しか接点がなかった。

「で、何の用なんだよ」

『なんだ、そっけないなあ。実は今、フィールドワークでインドにいるんだけどよ。来月には日本に帰るんだよ。そこで、お前とまた久々に酒でも飲もうと思ってさ』

「そんなことかよ。わかったわかった。じゃあその頃になったら連絡してくれよ」

『ああ。家に遊びに行ってもいいか? 住所は年賀状に書いてあるやつで合っているよな?』

「遊びに来たって面白いものなんか何もないけどな。それより俺は今忙し……あっ!」

『どうした?』

 遅かった。窓の向こうでは、始発電車のテールランプが遠ざかっていく姿が見えた。

 その日の仕事は絶不調であった。遠く離れたインドに住む友人に、怨嗟の声を届けてやりたいほどである。

 

 

 仕事が終わり、部屋の中で彼はひとり、缶ビールを呑みながら窓の外を眺める。時折電車が走り、彼はそれを目で追って、車体を肴に酒をあおる。その一杯は格別の味であったが、その嗜好を理解してくれる人間は数えるほどであった。

 この光景もいつまで拝めるかはわからなかった。

彼は膨大な量の路線の中でも、目の前を走るこのツルカメ線が一番好きだった。戦前からあり、一時期は住民の足として大いに活躍した路線である。鉄道オタクならではの感性にひっかかる風情がそこにあった。

しかし、時の流れには抗えない。これまでに幾度かの改装を施したが、利用者の減少と老朽化に伴い、ツルカメ線は来月を以って廃線することが決定した。近場に隣県や副都心へと直結する新駅が建ち、客を根こそぎ奪われたことが決定打となったのだ。

「冗談じゃない、冗談じゃないぞ」

 鉄男は窓の外から線路を睨み、ぶつぶつと呟く。ビール缶が音を立ててへこんだ。

「俺が何のために、こんな辺鄙な場所に部屋を借りて住んでいると思っているんだ。あの路線を毎日拝むためだ。あの路線を走る、あの車両を拝むためだ。この耳で毎朝、始発の走る音を聞くためだ。このコンビネーションがいいんじゃないか。それをなんだ、ちょっと客が少ないくらいで無くしやがって」

 しかし、自分がいくら望んでももはや決定が覆ることは無いだろう。近隣の住民も、廃線はやむなしと見ている者が大多数であった。

 ならばせめて、ツルカメ線の勇姿を余すこと無くフィルムに収め、思い出を切り取っておくほかあるまいと思った。

 もちろん、すでに数百枚に及ぶ写真を撮影済みである。ホームから身を乗り出したため、駅員から注意されたことも一度や二度ではない。周囲から冷ややかな目で見られようとも、文句を投げつけられようとも、奇跡の一瞬を撮ることへの執念の前には無力である。

「でも、ダメなんだよなあ。俺が撮りたいのは……そう、ここからの風景なんだ」

 両手指でフレームを作り、窓から線路の構図を切り取る。

 鉄男はこの部屋の窓から写真が撮りたかった。車両がカーブに差し迫ったあの瞬間を、この絶好のスポットから撮影したかったのだ。

 しかし、その行動へ及ぶに至り、ひとつだけ不服があった。他の人間なら我慢出来るレベルの細やかな不満点であったが、彼にはそれがどうしても許せなかった。

「邪魔なんだよな。あの桜の木」

 緩やかな丘の上を走る線路を囲むように、桜の木が何本にも並んで立っている。春になれば美しい花を咲かせ、近隣住民の眼福となっていた。

 そのうちのたった一本が、鉄男にとっての「理想の構図」を撮るにあたり、邪魔な存在だったのだ。フレームから少し顔を覗かせるだけの存在だったのだが、それは喉の奥に刺さった魚の小骨のように、鉄男の中で看過できない目の上のたんこぶとなっていた。

 なんとかあれを取り払うことはできないだろうか……。

 そのとき、鉄男の中で悪魔が囁いた。彼は夜になるとこの一帯は、街を歩く人の気配が全くと言っていいほどない事に気づいた。

 心にブレーキがかからなかった。廃線まで猶予はあまりない。思い立ったが吉日、善は急げ。

 翌日には仕事帰りにホームセンターへ向かい、鉄男は一本のノコギリを買っていた。

 

 

 

 草木も眠る丑三つ時……終電が過ぎた駅は明かりを消して、人々が寝静まった街の中にひとり、ジャンパーコートを着てノコギリを持ち歩く男がいた。通りすがりの殺人鬼ではなく、鉄男である。

 丘の上を息を切らして登ると、「厄介者」だった桜の木へとたどり着いた。

 樹の幹は直径三十センチほどである。鉄男は息を整えると、手にしていたノコギリを幹へと這わせ、力を込めた。

「恨むなよ。お前も結構な年月をここで過ごしたのかもしれないが、これも全て理想の写真を撮るためだ。どうせ何本もあるんだから一本くらい無くなったって一緒だろうからな」

 そして鉄男は力を込め、ノコギリで幹を切り始めた。

 二時間後、腕に力が入らなくなり、息を荒くした鉄男の目の前にあるのは、深さ三ミリあまりの傷が入っただけの幹の姿である。

 桜の木は予想以上に頑丈で、鉄男は想像以上に非力であった。おまけにノコギリなど人生の中で一度も使ったことがない。要領も得られず、気が付けばすでに時刻は深夜の四時を周っていた。

「まずいぞ。まさかこんなに堅かったなんて。それにそろそろ寝なければ、仕事につかえてしまう。しかし、今日も日課の始発音を聞かないと……そうなると、一時間も寝られないじゃないか!」

 鉄男は恨めしそうに桜の木を睨み、ノコギリを手にその場を後にした。

 それから毎晩一時間、街が寝静まったのを見計らってノコギリで桜の木を切り続けることが、鉄男の新しい日課となった。

 次第に要領を覚え、体力が付き、幹に付く傷は少しずつ深くなっていった。

 孤独で、静かに、地道な作業。しかし、それは全て理想の写真を撮るため。

 廃線の日が決まった。鉄男はそれまでに桜を切り倒す必要があった。

 桜を切り始めて一ヶ月。廃線の日を翌日に迎え、鉄男はラストスパートをかけた。

「くるぞ、もうすぐくるぞ。よし、よし! きた、きた!」

 懇親の力を込めてノコギリを引く鉄男。

 そしてついに、桜の木はメキメキという音を立てて傾き、やがてゆっくりと倒れると、丘の上を勢い良く転がり始める。

「あ、おい! ちょっと待っ……」

 切り倒したあとのことを、鉄男は何も考えてなかった。ゴロゴロと転がった桜の木は、丘の下に流れる川へと激しい音を立てて着水した。

 鉄男は思わず身をすくめ、それから周囲を見渡し、人の姿を確認した。音に気づいた者はいないようだ。人や物にぶつからなかったことに安堵の息を吐いた。

「でも、これでようやく理想の写真が撮れる。今日はツルカメ線の最後の運行の日だ。どうせなら、始発の写真から延々撮り続けたいものな。今日はこの日のために休暇も取ったんだから」 

 そして鉄男は時計をチェックし、驚いた。気が付けば始発の時刻まであと三十分を切っている。

 鉄男はノコギリを手に、急いで帰宅した。窓の向こうを見ると、桜の木がなくなってカーブが丸見えになっていた。これなら素晴らしい写真が撮れる。残された僅かな時間で、カメラの準備を着々と進めた。

 時刻まであと三分。カメラの準備を終え、鉄男は息を整えてその時を待つ。

 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。

「こんな時間に誰だ!」

 彼は逸る気持ちを抑えてドアを開けた。一発殴ってやろうかと思ったからだ。

「よう、やっぱり起きてやがったか。久しぶりだな!」

「Mじゃないか! どうしてここに!?」

「言っただろ、遊びに行くって。どうせならサプライズしちゃおうと思ってな。どうだ、驚いただろう」

 鉄男は彼を無視すると、再びカメラへと向かった。電車の通過時刻まで、あと一分だ。

「おいおい、どうした。怒ったのか?」

「頼むからもうちょっとだけ静かにしていてくれ。今大事なところなんだ」

「ほら、近くのコンビニで酒とかつまみとか買ってきたぞ。しかし、この街は地味だがいい場所だな」

「何がいいものか。気が散るからしゃべらないでくれ。俺は今から電車を撮るんだ」

 通過時刻まであと三十秒。勝負は一瞬である。

「お前の鉄道趣味は相変わらずだな。しかそこの街、何がいいって桜の木がいいよ。春になったらまた訪れたいな」

「いいことあるものか、あんな木。邪魔だよ、あんなの」

「邪魔とか言うなよ。あの木はこの街の守り神みたいなものだ」

「意味がわからないことを言うんじゃない。いいから黙ってくれないか!」

 あと十五秒。

「おいおい。お前はとっくに忘れてるだろうけどな。俺は地質学者なんだ。ここにくる途中に一目見てわかったよ。今お前が撮ろうとしてるその線路、地盤がかなり劣化していて危険な状態なんだ。あの桜の木のおかげでギリギリのバランスを保っているんだよ。もし脇に生えている桜の木が一本でも折れたり抜けたり切られたりしてみろ。通過する電車の重さで地盤が崩壊して、脱線した電車がこの一帯目掛けて猛スピードで突っ込んでくるんだぞ」

 ヘッドライトがカーブへと差し掛かった。

 

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