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未来のキラキラネーム事情はこうなる

ショートショート

「田中さん。田中光宙さん」

 静かな院内に受付のナースの声が響く。平日午後の都内某病院フロント前には、まばらな人の姿があった。

「田中光宙さん、いませんか」

 受付が追ってその名を呼ぶ。カルテを脇に抱えたひとりの若いナースが、その様子を傍らで眺めていた。田中光宙という名の患者、そんな名前の人間が二人といるわけがない……はずである。

「はいはい、私です」

 ひとりの老年期男性が席を立ち、受付へと足を運んだ。心疾患で通院している彼こそが、田中光宙(たなか・ぴかちゅう)である。もちろん、某人気携帯ゲームとは一切関係がない。受付で薬と説明を受け取ると、腰の曲がったピ◯チュウは玄関の向こうへと消えた。

「次は……松本麗音菜愛梨亜(まつもと・れおなあめりあ)さーん」

 ハイ、という乾いた声とともに、熟年の女性が立ち上がった。

(どうして、どうしてこうなったのかしら……)

ナースはこめかみを抑えた。光宙……彼の親は何を考えてこのような名前をつけたのだろう。やはり、ゲーム好きだったのだろうか。彼の名前に、一体どのような思いが込められていたのだろうか。他人では推し量れない事情であった。

2085年。時代の変化と共に、子供の命名文化も大きな変容を遂げていた。ある者は徹底して個性を追求し、ある者はグローバル化への対応を考え、ある者は自身の趣味に傾倒した。奇抜、難解、下品、(無駄に)高貴……前時代的な名前はすっかり鳴りを潜め、振り仮名を充てられないと読めない名前ももはや珍しくない。

彼女が生まれるだいぶ前の話ではあるが、かつては「DQNネーム」「キラキラネーム」などと呼ばれて嘲笑と侮蔑の的とされていたらしい。しかし、今となっては余程の問題が起きない限り、他人の名前に異論を唱える思想自体が風化していた。

「お疲れ様。何か変わったことはないかね」

 ナースに声をかけたのは、三十代の男性内科医である。

「患者の名前ですかね」ナースが答えた。

「まあ、たしかに変わった名前の患者は多いが。今では変わっているということがすでに珍しくないだろう。個性化の時代だからな。個性なんていうのは黙っていても滲み出るもので、他人から狙って付属させられるものではないのだが……」

「しかし、名前を呼んだり覚えさせられる側の身にもなってほしいものです。カルテに目を通すだけで卒倒しそうになりますよ。フリガナがついているので、まだいいですけれど。それがなければ今頃半泣きです」

「どれ、今日はどんな名前の患者がいるのかね」

 医師がカルテを覗いた。

「田中ポチ夫、佐藤幻の銀侍(まぼろしのぎんじ)、山田亜菜瑠(あなる)、川田手洗(てぃあら)、大島ラッキー星(らっきーすたー)、夜神月(らいと)……」

 ナースが名前を読み上げる。変わった名前に偏見のない医師も、目眩を覚えるようなラインナップであった。

「これは……他人の名前をとやかく言う趣味はないが、どういう意図や思いがあって付けられたのかわからんな。虐待だとしか思えないものもある。ちなみにこれはなんと読むのかね?」

 カルテには『渡辺爆殺天命銀翼竜伝説太郎』と書いてあった。

「ああ、『わたなべ・たろう』と読みます」

「最後の二文字だけでいいだろ」

「かつてはこういった奇抜な名前も、就職面接などでは即座に落とすための対象となったようですが、その傾向もとっくの昔に絶滅したようです」

「そりゃそうだろうな。なにせ壮年の面接官の名前が『歩笑(ぽえむ)』などというのだから」

 批判の対象として扱われていた命名の奇抜化も、半世紀もすれば文化として根付き、すでに一般常識として受け入れられていた。名前をサンプルに家庭環境や教養、人格を判断することは老害の象徴となり、今では槍玉に挙げるほうが絶滅危惧種と化してはいるが、それでも保守的な思想の持ち主、あるいは難解な名前に悪い思い出が残る者達にとって、やはり現代日本の命名事情には一言申したい部分も確かにあったのだ。

「しかし、数百年も前には普通に使われていた名前が、五十年前には誰も使わなくなったように、このような変化はあって然るべきなんでしょう。余程のアウトローや天才でない限り、未来の『常識』を現代の感性による抵抗もなく、自然に受け入れられる人間はいません。どんなに変わった名前をつけられても、社会が受け入れた以上本人が気にさえしなければ問題にはなりませんし」

 ナースはそれでも、未だに納得がいかないといったような表情だ。自分でも頑固なまでに古風だとは思ってはいたが、やはりこの風潮を素直に飲み込むことができない。

「まあ、名前なんて肩書きでしかないからな」

「肩書きは大事ですよ。たとえ同じ意味でもニートと在宅アニメ評論家、職業不詳とハイパーメディアクリエイターじゃ他人の捉え方が変わります」

「その『捉え方』も時代が生み出すものだからな。そういえば君、下の名前は何と言ったかな」

「優子です」

「お、悪く言えば古臭いが、なかなかいい名前じゃないか。誇りを持ちなさい」

「まあ、これも成人した時に自分で役所に申請して改名したものなんですけれどね」

「元はなんという名前だったんだ?」

「『もぎたてバナナ大使』です」

「そ、そうか」

「先生の下の名前は何でしたっけ」

「……ック」医師が囁くような声で答えた。

「え?」

「黒弱(ブラック・ジャック)だ! 笑うなら笑え!」医師が急に感情を剥き出しにする。

「こんな名前じゃ無免許医師かカジノのディーラーにならないと名前負けしちゃうみたいなところあるだろ! コロコロコミックの主人公の名前が作品のテーマに沿った当て字をされているような状況だよ! 本当は他になりたい職業もあったのに、なんか導かれるように医者になっちまったよ! まあ稼げるからいいけれど!」

「本当は何の職業に就きたかったんですか?」

「ドモホルンリンクルを見つめる人を見つめる仕事」

「ないですよ、そんな仕事」

「おっと、そろそろ戻らないと患者を待たせてしまうな……」

 二人は医務室へと戻った。扉の前ではすでに何人かの患者が、名前を呼ばれるのを待っている。

「では、次の患者さん……寺田さん。寺田救世主(メシア)さん」

「自分を救えよ」

「次、村田大丈夫(だいじょうぶ)さん」

「じゃあ大丈夫なんだろ」

「次、田村病死(びょうし)さん」

「終わってるじゃないか」

「次、野島……うう」ナースが突然口ごもった。

「どうした?」

「の、野島……お、おち、おちん……」

 ナースは顔を耳まで真っ赤にしている。

「ちゃんと言いなさい。患者さんの名前だろう」

「あ、私『野島おちんぽみるく出ちゃうの』と言います」患者が自分で答えた。

「あなたに訊いてるんじゃない! 彼女に言わせたいんだ!」医師が机を叩く。

突然、医務室の外が騒がしくなった。急患が運ばれてきたのだ。

『都内で喧嘩! 山田頭(あたま)さんが胸を足で蹴られて尻をついて腕を折ったそうです!』

『ややこしいわ!』

『急患もうひとり来ました! 名前は杉田クルンテープマハーナコーンアモーンラッタナコーシンマヒンタラーユッタヤーマハーディロックポップノッパラットラーチャターニーブリーロムウドムラーチャニウェートマハーサターンアモーンピマーンアワターンサティットサッカタッティヤウィッサヌカムプラシットさん!』

『長いよ、長い! 何その名前!!」

『バンコクの正式名称と同じだそうです!』

『知らないよ! もういいから続けて!』

『二人が喧嘩になって、山田頭さんが最初に割れたビール瓶で杉田クルンテープマハーナコーンアモーンラッタナコーシンマヒンタラーユッタヤーマハーディロックポップノッ……バンコクさんの腕を刺して!』

『途中で挫けんな!』

 ナースがカルテを床に叩きつけた。

「もうイヤです! 名前なんて普通でいいんですよ、普通で!」

「落ち着きなさい。今はそれが『普通』なんだ。受け入れるしかないんだろう」

 慰めてはみるものの、実際のところ医師も辟易としていた。

 そもそも普通とは何だったろうか。答えの数が世の中の形とはよく言ったものだと、天才無免許医と同名の医師はため息をつく。

「すみません、それより診察いいですかね?」野島おちんぽみるく出ちゃうの氏が訴えた。

「ああ、申し訳ありません。それで野島さん、今回はどのような症状で?」

「実は最近、仕事中に気分が優れなくなることが多くてですね」

「そうなんですか。ちなみにお仕事は何をなさってるんですか?」

「ドモホルンリンクルを見つめる人を見つめる仕事です」

「あるんだ」

ナースが呟いた。

 

 

 

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